「ねえねえ、これどう思う?ある意味正しいのだけど難しいわね」
と、友達から送られてきた記事。
見てみると、
『結婚したいなら、まず自分からプロポーズしろ』とか
『愛されるかどうかなんて関係ない!』とか
『同棲なんかもっての外。時間の無駄だ』とか
『今すぐ知り合いの男性で、「私と結婚してくれますか?」という自分の問いにイエスと言ってくれそうな男をリストアップせよ』とか
過激な言葉がたくさん書いてある(笑)
そして、『そのリストに書かれた頼りないけど、自分のいう事を聞いてくれそうな男性と結婚してその男を育てるのだ』という趣旨の事が書かれている。
結婚に愛は必要ない?
こういう類の記事、って実は結構多い。
目にする度に、読む人を一瞬誤解させないかな、と心配してしまう。
結論から言うと、うんうん。分かる。
一理ある、と思う。
でも、本当に愛されていなくても関係ないのか、というと私なら嫌だし、この記事を書いた方も「結婚できるという目的さえ果たせれば、愛されなくたってがまんしろ」と言っているわけではないと思う。きっと。
ただ、愛されたい欲求ばかり先に満たされようとして相手を探すあまり、方向性の間違った婚活をし続けて、「イイ人は全員結婚している」っていう物語の中に住んでいる人に対し、気にする順番が違うよ、と言いたいのではないか、と推測する。
↑ここ大事な所!
私個人の好みとしては、もちろん、腫れた惚れた、という幼稚でナイーブで純真なステージを経て、結婚する方が素敵だと思う。それに、「彼でなければダメなのよ」、という想像力 と言う名の思いこみ、が必要。
だけど、それとは逆説的な要素として、結婚したり、結婚生活を続けていくには、相手が誰であろうと、割とうまくいかせられる考え方や姿勢が必要とされる事も、また事実。
それは例えば、相手のいいところをみつけるスキルだったり、小さい事でも感謝できる習慣だったり、という様な、人と共存するのに必要なエッセンスで、それには、自分の気持ちを満たす術をある程度自分で心得ている、ということも含む。
だって、どんなに幸せな結婚をしたって、腹の立つことのひとつやふたつは経験する。
その時にいちいち愛情確認テストをしなければいけない程、愛に飢えていたら、うまくいくものもいかなくなるから。
- 不安から解放されるために、相手を質問ぜめにする。
- 愛を確認しようとして、嫉妬を誘発する行動をとる。
- 相手が自分を気遣ってくれているかどうかに一喜一憂して、本質的な相手の気持ちに気づく余裕がなく、すぐに誤解する。
- 相手にどう思われるかを恐れ、言いたい事を言えないので鬱憤がたまる。
などなど、自分で自分を愛する、という責任を果たさないことで、引き起こされるダメージは計り知れない。
愛されるかどうか、ということは、それがちゃんとできた延長上に心配してもいいことで、その順番を間違えなければ、不安な時も割とヘルシーに対処できるようになる。
自由を手に入れた先にあること
最低限の基本として、自分が自分を認め、愛していると、相手に嫌われることを恐れすぎて自分を出せない、とか我慢する、というシーンが減ってくる。
つまり、自由だ、ということ。
そういう境地に立って、初めて、冒頭にあるような「プロポーズは男性から」という世の中の勝手な信仰から解き放たれて、自分からプロポーズしたり、
「愛されているかどうかなんて関係ないわ!」と強気になれたり、
「同棲なんかしたって、結婚を遠ざけるだけよ!」と合理性を発揮したり、
実際に結婚までの準備期間=交際期間という最短距離でゴールインしても周りを不安にさせずに済む。
そして「今は頼りないけど、私が一緒にいて彼を愛せばきっと彼も自分の良さに気づくはずよ!」と結果的に男性の自信を育てるお手伝いをする事になる、というのは全てアリだと思う。(これって本当は、自信を育てるというよりは、本来の姿になるのを手伝う事になる、ということだよね。)
アリもアリも、大いにアリ。むしろ素晴らしいと思う。
よく言われているように、本当に何でもよければ結婚自体は誰でもできる。
いいよ、って言ってくれる人として、直ぐ別れたって関係ないなら別に今すぐその辺の人連れて、区役所にいけばいい。
でも、誰でもよくないし、なんでもいいわけないから困るわけで。
だからこそ!だからこそね。
気にすべき順番をちゃんと理解し、自分の課題に取り組むことが大切。
そうしてこそ、自分の問題を相手に解決してもらう事を望まなくてもよくなる。
相手の問題を自分のものだと勘違いしなくても済むようになる。
関係性をグレードアップさせていくことも、維持することも楽しくできるようになる。
せっかく結婚するのなら、愛する人としたいし、愛されたいし、長く一緒に居られたらいいもんね^^
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